当寺は人皇第二十九代欽明天皇(五四〇~五七一)が御幸の際、休息され欽明の名をいただいて寺号としたと伝えられる。この欽明寺前から欽明路峠にさしかかる峠は、山陽道のなかでもかなりの難所であった。
万葉集に「周防なる磐国山を越えむ日は、手向けよくせよ 荒らしその道」とある。
峠を欽明路峠と称するのは、この寺号にちなむ。
住古は観音堂だけで、寶授観音菩薩は行基の作と伝えられ、二〇〇〇年までは三十三年毎の開帳であった。
現在は毎年春の御説教法要時に御開帳されている。

 開基は中正院日仁上人にて、慶長八年(一六〇三)日蓮宗となる。本尊は釈迦如来である。境内に加藤清正公を祀る堂と観音堂がある。昭和十五年、欽明路部落に火災あり、類焼の厄にあい伽藍を全焼した。
本堂は昭和三十三年再建され中興三十八世、祐徳院日量上人において山門、鐘楼堂、庫裏、七面堂が再建された。

現在の本堂は平成二十七年(智徳院日賢代)に檀信徒会館と共に日蓮聖人御生誕八百年事業として建立された。

欽明寺ギャラリー